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あけましておめでとうございます [日常]

2009年が来ました!

ぴょんちゃんと一緒に
家をきれーにお掃除して、床ふきして、バスルームも磨いて、鏡もぴかぴかにして、

2008年がばいばいってでていって、

気がついたら2009年が来ていました!

はっぴーにゅーいやー!

おせちを食べて、お雑煮食べて、おせちを食べて、

いちおうアメリカでもお正月をすごしました。


ことしもがんばるぞい!

みなさんにとっても良い年でありますように!!!




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ママも歌って [子供]

ぴょんちゃん、クリスマス前に、保育園で年下のクラスの子供たちに、
クラスのみんなでクリスマスの歌を歌って聞かせるというパフォーマンスをしたようです。

それ以来、毎日家でクリスマスの歌を歌っています。
もちろん英語です。

で、「ママも歌って、一緒に!」
というのですが。

正直、ママには歌詞がわかりません。
メロディーならわかるんだけどね。
ぴょんちゃんの英語も語尾がはっきりしてなくて、なにいってんのかわかんないの、ママは。

『ねえねえ、うたってよお」
「わかった、ジングルベルジングルベルほにゃらら〜、ほにゃらら〜」
「(大笑い)ちがおうよお、ママ!ジングルベル、ジングルベル、ほにゃらら〜(とママには聞こえる)」
『だからホニャララ〜、ホニャララ、ララ、ホニャララ〜、でしょ?」
「ちがうってば〜〜〜!!!ママおもしろすぎるよ〜」

ああーん。もう英語の聞き取りは完全に娘に負けております。

いいのいいの、ママはほにゃららで。

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日本語すぎる?ーークリスマスにて [子供]

12月25日の朝、ぴょんちゃんが起きてクリスマスツリーのところへ行くと、
サンタさんからのプレゼントが!

http://www.toysrus.com/product/index.jsp?productId=3145300

ぴょんちゃん、大喜び。
パパとママとお家を組み立てて、さっそくお店屋さんごっこが始まりました。

で、ママはずっとお客さんの役。
ぬいぐるみのピギーちゃん、ちぇりーちゃん、ももぶたちゃん、だっこちゃん、くまちゃん、ピンキーちゃん、ごんたれおん、ふにふにちゃん、ぶーちゃん、むーちゃん、それからおはなちゃん。
お気に入りのぬいぐるみを一周しました。
そうです、ままがそれぞれのぬいぐるみのキャラで、ぴょんちゃんのお店にお買い物に行くのです。

は〜〜〜、つかれました。

で、いつものお気に入りのぬいぐるみがみんな買い物に来ちゃったので、
ぴょんちゃんは普段あんまりかまってないぬいぐるみも、つれてきました。
「ママ、この子たちも買い物に来て!」

疲れたママは、あらたなキャラをこのぬいぐるみに加えることに。

「ぴょんちゃん、うちごっつうはらへってんねん。
なにかええもん食わせてえな。
そやな〜、りんごもええし、オレンジもええな。」

するとぴょんちゃんは怒りだしました。

「だめだめ、そんなの、へってんねん、なんてへんだよ!
日本語すぎる!
ここはアメリカだから、ぴょんちゃんみたいに、ちょっとだけ日本語はなすの!」

「そんなん、差別や、It's not fairや。
うちはもともとこんな言葉遣いやねん。ひどすぎるわ」

「だめだよ〜!!!」

「だって、”夢をかなえるゾウ”のガネーシャかて関西弁しゃべっとるやん」

「もう、ママだめ!そんなの日本語すぎるの!だめなの!
それにそんなしゃべり方、男の子みたい!その子は女の子なのよ!
かわいくしゃべってほしいの!」


というわけで、関西弁のくまのぬいぐるみは受けませんでした。

でも、わたしと夫は大笑い。
日本語すぎるって、、、、なんやねん、それ。おもしろいなあ。




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ちいさいモモちゃんを読む [子供]

最近母が日本から、「ちいさいモモちゃん」を送ってくれました。
私が小さい頃、母が読み聞かせてくれた本です。


ちいさいモモちゃん (講談社青い鳥文庫 6-1)

ちいさいモモちゃん (講談社青い鳥文庫 6-1)

  • 作者: 松谷 みよ子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1980/01
  • メディア: -




5歳のぴょんちゃんにとっては、絵本ではない本を読むのはどうかな〜と思っていましたが、
すぐに大好きになりました。
私の顔をみながらどきどきはらはら、時には大笑いして聞いています。

なぜどきどきはらはら、かというと、
モモちゃんはよくプーといっしょに森に入っていったりするんです。まだ小さいのに。
アメリカでは、子供一人でお出かけなんて考えられません。
一人だと、迷子になったり、こわいおじさんにさらわれてしまう、と言い聞かされています。
なので、たった3つのモモちゃんがどんどん森へ入っていくと、
ぴょんちゃんの顔はどんどん心配そうな顔になります。
「迷わないのかな。お家に帰れるのかな」
すごく心配です。
でもお話は、森の中で完結して、お家に帰るところまで続いていなかったりします。
すると
「大丈夫なんだよね、きっとプーが賢いから、いっしょにお家に帰ったんだよね」
と言っています。

「モモちゃん3歳だもん、おっきいんだもん、おねえちゃんだもん」
という話では、「ぴょんちゃんみたい!」と大喜び。

「ママになんか、わからない」
というおはなしでは、モモちゃんがみずぼうそうになります。
「お顔やおなかに赤いぶつぶつができて、、、」と読むと、
「chikenpoxだ!!!」と叫びました。
おお、すごい、ぴょんちゃん!なぜ知っている?そうか、先日同級生が水疱瘡疑いでお休みしてたね。
でも、
「ママになんか、ってなんかってなに?」
と聞いてきます。
ううーん、難しい質問ですね。
「ママにはモモちゃんの気持ちがわからない、ってことよ」
「?」
「ママがわかってないってことなのよ」というと、
「ぴょんちゃんが英語をしゃべると、ママわかってないよね!」
ですって、、、、orz......

まあそんなこんなで、
毎晩モモちゃんのお話を聞くのが大好きなぴょんちゃんです。

もうすぐちいさいモモちゃんは終わりで、
つぎは「モモちゃんとプー」です。

愉しみだね!
ママもぴょんちゃんの反応が愉しみです。



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親心 [子供]

私の母はものすごい心配性だ。
私が小さい頃から、なにかと心配し、過保護で、私を箱に入れようとした。
が、わたしの性格は箱に入りきらず、箱を蹴破って外に出たがった。
そのため母と何度衝突したことだろう。
「母娘は戦う運命にあるのだ。皆、遅かれ早かれ。」
という言葉は、小児心身医療を専門にしている私の大先輩の小児科の先生から聞いた言葉だ。
その先生も、お母さんと激しく戦ったそうだ。
わたしは納得した。
わたしもかなり戦った。あがいた。家出もした。
激しく憎んだ。

働き始めて、初めて実家を離れて暮らして、ようやく私は自分の生活を得た。
自分で働き、お金を稼ぎ、自分の生活に自分で責任を持てるとはなんとすばらしいことか。
母と物理的距離を置くことで、ようやく母娘の関係は修復した。

そして、今思う。
わたしはものすごく心配性だ。
娘をいつも心配している。事故にあったりしないか、けがをしたりすることはないか。
この子に何かあれば、もう生きていけない、と思う。
そして、同時に、自分が担当していた、小児科の亡くなった子供たちのことを思う。
親御さんたちの気持ち。あのときの自分には想像も及ばなかった、身を切り裂く思いをされていたに違いない。

人にはあがらえないことがある。
病気や不慮の事故はそのたぐいにあたる。
わたしはそれを恐れている。
そう、自分で防ぐことができないことだから。

でも。
娘は当然、そんなわたしの心配なんておかまいなしだ。
どんどん成長していく。
そして、それでいいのだ。

いま、わたしがかつての母の気持ちがわかったからといって母に感謝したりする気にはちっともならない。私はわたしの年齢相応の責任と自由が必要だったのだ。
母はそれを殺そうとしたのだから。

母を思い、わたしは自分の心配性をいさめる。

自分で防げないことを心配しても仕方がないのだから。

子供の発達、自立にあわせて、すこしづつ手を離していくことのなんと難しいことか。

子供は寂しがらない。親からはなれることを。
わたしが寂しいの。
仕事で家を留守にするときも、
子供がスリープオーバーで、お友達の家にお泊まりするときも、
私が寂しいのだ。

この親心は、
自分が感じるものであって、
でも親には感謝として返せない自分がいるからには、
娘は親心なんていらんのだなあと
しみじみ思うのだった。


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納豆もって帰りたい [子供]

9月に日本に帰ったときのこと。

毎朝、ぴょんちゃんもわたしも納豆を食べました。
嗚呼~、納豆おいしい!
アメリカでも食べられますが、なにせ、冷凍。
日本で食べる納豆は、やっぱり新鮮です!

ぴょんちゃん、においをくんくんかいで、
「おいしいにおい~~~」
と嬉しそうです。

「ねえママ、この納豆、アメリカに持って帰りたいよ~」

ははは、ママもそうだけどね~、
でも、それは無理なのよね~。


日本では秋刀魚も100円ほどで売ってました。涙が出そうです。
アメリカではやはり冷凍秋刀魚しか食べられません。

秋刀魚を焼いて、大根おろしで食べる。
嗚呼、なんと幸せなことか。

新鮮なお魚が食べられるって、本当に幸せだな~、と思った次第です。

あー、やっぱりお食事は日本が一番!

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なんでも食べて大きくなるの! [子供]

ぴょんちゃん、5歳。

最近なんでも食べれるようになりました。
もりもりたくさん食べます。

「たくさん食べて早く大きくなるんだよ!」

と自慢げです。

お風呂のときは体重計にのって、
「ねえ、大きくなった?」
と楽しみにしています。

ははは、年頃になったら、太ったーとかいうだろうけれど。
いまは体重が増えるのも楽しみです。


思い起こせば、「変わる家族、変わる食卓」を読んで、娘への食事の食べさせ方を反省したのでしたのが2年前。
http://kyouteniiretamono.blog.so-net.ne.jp/2006-05-27-1

あのころは食べむらがあって、好き嫌いもあった。
でも、「だめよ、なんでもたべなきゃ」
「一口だけでもトライしてごらん」
「食べない子はおやつはないからね」

とやっていくうちに、本人もいろんな食べ物をトライするようになってきた。

で、いまやほんとになんでもきれいに食べてくれる。
本人も自慢げです。


なんでもたべて、すくすく大きくなっているね、ぴょんちゃん。




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嫁という言葉 [ひとりごと]

義母が亡くなった。76歳で、まだまだ若いといわれる年。

葬儀で、いろんな夫の親戚の方々とお話しした。
いままで、親戚の方との交流がほとんどなかったので、今回、わたしの結婚式以来といえる。

久しぶり、、というよりわたしにとってはほとんど初対面の親戚の方に
自然と、
「嫁のpyonkichiです」
という言葉が出た。

そしてそれは、田舎の本家、新家という親戚の人たちの間でしっくり浸透した。

*****

わたしは嫁という言葉が嫌いだった。
私は私。
夫の家に嫁いだ訳じゃない。
夫の妻になっただけだ、と思っていた。
嫁扱いされるのはまっぴらごめんだ、と。

しかし、義母は私を嫁扱いしなかった。
義母はどういうわけだか、私が働く,大学院で研究する、ということに、とても重きを置いていてくれた。
近年、体がよわった義母に、肩をもみましょうか、お風呂で体をながしましょうか、というと
「そんなのもったいないよ」
と言うのだ。



そして、告別式、その後親戚のやり取りでわたしの口から自然に出た言葉。
「嫁のpyonkichi」です。

義母が亡くなって、はじめてわたしはそう言ったのだ。


*****
いったい私はなにを構えていたのだろう?

何を問題にしていたのだろう?


それは、
嫁としての役割を果たす事をのぞまれなかったから言える事かもしれないけれど、
働く私が自分のidentityを守るために、結婚という制度に負けないために、
頑として守りたかったものかもしれないけれど


嫁という言葉はそんなに悪くないのだと、知った。






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大野事件、加藤医師無罪確定! [医療]

8月29日に福島地検が控訴を断念すると発表しました。
おくればせながら、
署名にご協力くださった方、ありがとうございました。


ほっとしました。


一日も早く、加藤先生が日常を取り戻される事を祈ってやみません。


また、
ご遺族の方が、裁判という名の不毛な苦しみを終える事ができたのは,よかったと思っています。






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大野事件 雑感 [医療]

福島県大野事件、産婦人科の先生に無罪判決が下りました。
「周産期医療の崩壊をくい止める会」では控訴とりやめ要望の署名を集めています。
ぜひご協力ください。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/08/post_d6f6_10.html

このような、不毛な裁判は、もう終わりにしなくてはいけません。


検察は、胎盤剥離を進めずに、子宮全摘に移行すべきだったと主張していましたが、
術前癒着胎盤が診断され、周産期センターで輸血も整え、万全を期し、
胎盤も剥離せずに子宮全摘をしたにもかかわらず、救命できなかった症例が朝日新聞の時時刻刻の記事に載っていたようです。

詳しくは「ある産婦人科医のひとりごと」をご覧ください。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/08/post_d6f6_10.html


いったいどうしたら、大野事件の女性も、この記事の女性も救えたのか?
どうしようもない、、、。
いくらつくしても、命を落とすことがあるのがお産なのだ、医療なのだ、、、
医者をやっていると、あがらえない、なにかを感じます。




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