久しぶりの更新 [ひとりごと]
2年ぶりのブログ更新です。
アメリカに来てもう10年目。
ぴょんちゃんはもう11歳になりました。
ミドルスクールです。
時の経つのは早いものです。
なんと! [ひとりごと]
バレンタインデーですが、それよりびっくりしたのは、
前回の記事は2011年10月!!!
ということは、2012年は一度も記事を書かなかったという事ですね。
なんと!びっくり!筆無精にもほどがあります。
今日はパパがガドーショコラを焼いてくれました。
おいしい〜!!!
大叔母さんの死 [ひとりごと]
http://kyouteniiretamono.blog.so-net.ne.jp/2006-07-28
小さい頃からいつも無条件にかわいがってくれて、
洋服もいっぱい縫ってもらったし、買ってもらったし、
旅行にもつれていってもらって、美味しいものもいっぱい食べさせてもらった。
その大叔母さんが亡くなった。
87歳。
介護が必要になって、介護施設に入っていたのだけど、食事中にごはんをのどにつめたのだって。
わたしはアメリカにいて、
たまたまその一週間後学会で帰国予定にしていて、
でも、その日いそいでもお通夜もお葬式も間に合わなくて、
予定通り大叔母さんが亡くなって一週間後に帰国した。
大叔母さんには子どもがいなくて、ずっと特別にかわいがってもらっていて、最近は介護を引き受けていた、姪であるわたしの母が喪主となった。
わたしは帰国して、実家にかざってある大叔母の写真を拝んだ。
ほんとうにね、大叔母さんはわたしのことをずっとかわいがってくれた。
小さい頃の私の様子、いつもおなじ話をした。
きれいなカッコウをしてなさい、
おいしいものをたんとお食べ、
なんでもほしいものをいいなさい、
大叔母さんの顔が浮かんでくる。声が聞こえてくる。
大叔母さんからうけた愛情が、あふれてくる。
ひとに、こうやって無条件に愛情を注ぐ事。
亡くなるときに、こうやって思い出されるものなのか。
「わたしの人生はつくしてばっかりよ」
とよく言ってたね。
「でも楽しいからいいじゃない。お金なんて、生きている間にぱあっと使って、
何も残さないでばっと死んじゃうのよ」
とも言ってたね。
帰国したとき会えるのを楽しみにしていたのに。
もう、87歳なのに。
死んじゃっても仕方ない年なのに。
大叔母さんの死は私を泣かせます。
大叔母さんなくして、わたしの人生はなかったくらいお世話になりました。
もう、大叔母さんはいないのだ。
嫁という言葉 [ひとりごと]
葬儀で、いろんな夫の親戚の方々とお話しした。
いままで、親戚の方との交流がほとんどなかったので、今回、わたしの結婚式以来といえる。
久しぶり、、というよりわたしにとってはほとんど初対面の親戚の方に
自然と、
「嫁のpyonkichiです」
という言葉が出た。
そしてそれは、田舎の本家、新家という親戚の人たちの間でしっくり浸透した。
*****
わたしは嫁という言葉が嫌いだった。
私は私。
夫の家に嫁いだ訳じゃない。
夫の妻になっただけだ、と思っていた。
嫁扱いされるのはまっぴらごめんだ、と。
しかし、義母は私を嫁扱いしなかった。
義母はどういうわけだか、私が働く,大学院で研究する、ということに、とても重きを置いていてくれた。
近年、体がよわった義母に、肩をもみましょうか、お風呂で体をながしましょうか、というと
「そんなのもったいないよ」
と言うのだ。
そして、告別式、その後親戚のやり取りでわたしの口から自然に出た言葉。
「嫁のpyonkichi」です。
義母が亡くなって、はじめてわたしはそう言ったのだ。
*****
いったい私はなにを構えていたのだろう?
何を問題にしていたのだろう?
それは、
嫁としての役割を果たす事をのぞまれなかったから言える事かもしれないけれど、
働く私が自分のidentityを守るために、結婚という制度に負けないために、
頑として守りたかったものかもしれないけれど
嫁という言葉はそんなに悪くないのだと、知った。
9.11 [ひとりごと]
今日は9.11
去年の今頃は、アメリカに来たばかりでそういうことを考える余裕がなかったけど。
でも、回り見渡してみても、意外とアメリカの国旗を掲げているおうちってそんなにないのね。
とくに大学でもなんのセレモニーもなかったな。あったのかしら?
お友達のはなちゃんが9.11について書いていますが、私も、思うところはあります。
わたしもね、アメリカが9.11,9.11って言うたびに
日本に落とされた原爆のことを思わずにはいられません。
アメリカ人はどれほど原爆が被爆者に与えた影響を省みているのだろう?
ラボの学生と、9.11のとき何をしていた、とか
知り合いの誰が亡くなった、とかそういう話をしました。
彼の弟の友達は、ちょうどそのときツインタワーが職場だったけど、
外に出ていて助かって、彼の同僚は全員なくなったという話を聞きました。
そういう話をきくと、わたしも胸が痛みます。
次元は違うかもしれませんが、
私もいちおう神戸の大震災のときはポートアイランドに住んでいて、
震災については心の奥にいたいとげが刺さったままでいます。
原爆、震災、テロ
もっとも、震災は天災だからどうしようもないんだけど、、、、
大事な人を失って悲しい気持ち、
テロを憎む気持ち、
それはあって当然なのだけど、、、、
でも、それと戦争を始めることは別だと思うのですね。
どうしたって、別なんです。
いま会いにいきます [ひとりごと]
いまさらながらに、「いま会い、、、」見ました。泣きました。
「セカチュウ」は小説を読んでから、映画のDVDを見たのですが、
こっちは小説よまずに映画のDVDをみました。
ちょっと時代遅れですが、なにせ、流行していると、ちょっと遠ざかっちゃう性格なもんで。
でも、実は私、映画の予告編をみただけで、涙ぐんでいました。
妊娠、出産してから、もともと涙もろいところに、拍車がかかって、
子供とかのかわいそうな事件とかお話とか、すぐにきてしまいます。
この映画の、子供を残してママが死んじゃう、その設定の時点ですでに泣いてます、私。
で、この映画、とにかくはじめから最後までうるうるしまくりの私でした。
ほんとに純愛の話だなー、死んじゃったから純愛なんだよなー、なんて思いながらも、
子供が「ママー」と走るだけで、もう涙、涙。
これは男のひとにはわからないんじゃないかなあ。
この映画、もちろん高校生や若い世代にも受けると思うのだけど、
小さい子供を持ったママは、もう涙なしには見られません。
ちなみに竹内結子ちゃんはすきな女優さんですが、
いいですねー。今回も、きらきらひかってますね。
いままでの映画、ドラマのなかでも、いちばんきれいに見えたような気がしたのは、
中村獅童とほんとに恋愛関係にあったからなのでしょうか?
竹内結子ちゃんは、でも、とにかく泣く演技がうまい。
ほんとに悲しい演技が上手なんだよねー。
映画の話に戻ると、
主人公の20歳の澪(竹内)は、自分がこれから巧(中村)に会いにいくと、
28歳で子供を残して、自分が死んでしまう事を、知ってしまう。
それでも、巧に会いにいく。
ほんとうに好きだから。
泣けます。
桜 [ひとりごと]
もともと、まじめに書くつもりでなかったブログですが、
不当逮捕事件の抗議を書いてから、
どうもまじめな話ばかりになってしまって、頭を悩ませています。
ほんというと、
医療水準とは、
業務上過失致死とは、
てなことを論じたいのですが、とりあえず、休憩。
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昨日今日は、とても暖かい気持ちのいい日でした。
日本ではさぞかし桜がきれいなのでしょうね。
アメリカに来て8ヶ月、まだホームシックにはなっていませんが、
桜は恋しい。
桜を見たい。
あの、はらはらと白く、薄ピンクの花びらが散るなかで
春の夜の湿った空気を感じたい。
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日本は季節の訪れを、空気とその匂いで感じることができるところだなあと
ふと思います。
アメリカでも、ときどき、同じ空気を感じることはできますが、
それでも、
季節の変わり目の日本の空気が恋しい。空気の香りが恋しい。
肺に入ってくる空気の温度と色で季節を感じたい。
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そういえば、この季節、京都の金平糖屋さんでは、さくらの金平糖の季節だわ。
娘が通っていた保育園のむかいにある、由緒正しい金平糖屋さんで、
いつもいい香りが保育園までただよってきていた。
京都の疎水沿いの、哲学の道より反対方向に歩いていくと、
さくらはそれはそれはきれいで、
ひとどおりもたくさんでなく、ゆっくり桜が楽しめる。
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今日手に入れたもの
桜にまつわる思い出
ひとやすみ [ひとりごと]
毎日ブログを更新している人は、えらいなあ、と思います。
いろいろ毎日考えたり、
途中まで書きかけの下書きはそれなりにあるんですが、
なかなか日の目をみません。とほほ。
前回、医師の過失について考えましたが、
自分の家族が医療をうけたとして、
過失があったとしたら、どう思うか考えてみた。
自分が医者なので、現場を知っているから、
「あー、それはしょうがないなあー」とある部分までは思うだろうし、
ある部分からは、
「それはまずかったのでは?」と思うかもしれない。
だけど、ほんとにまずいことって、そうそう起きないとおもうのですよね。
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今日手に入れたもの
すいません、まだまだとぎれとぎれです。