医療事故安全調査委員会ーーー真実はわかるのか? [医療]
医療事故安全調査委員会第3次試案を考え直してみました。
これはなんのために、誰のためにつくられようとしているのか?
本文最後にこの試案の「はじめに」を抜粋しますが、まとめると、目的としては
1。遺族の真実をしりたい希望、再発防止の希望
2。医療事故の評価、解析、またそれによる医療の透明性(国民の医療への信頼回復)
3。医療事故再発防止
ということらしいです。
で、思ったのですが、、、、。
はたして遺族の方々は「真実」を知り得る事ができるのか?
わたしは、「遺族の望む真実は、ない」と思います。
これまで、大野事件、大淀事件、そして静岡の胎盤早期剥離による母子死亡事件、、、
これらを眺めてみますと、どんだけがんばったって、「遺族が望む真実」はでてこないでしょう。
なぜなら、医学的に過失はないと思われるからです。
遺族の方は「真実が知りたい」とおっしゃりますが、それは「だれか犯人がいるはずに違いない」というお気持ちが前提にあるように思われます。
「だれかが悪いから、家族が亡くなったのだ」と。
それは正直間違いだとしか、言いようがありません。
だれも悪くなくても、人は病気でなくなるのです。お産で死ぬのです。
医師として、その時どうすれば、もっといい対応ができたのか?
どういうことがその時考える事ができたのか?
医師としてのできることは他にはなかったのか?
そう思うのが、医師というものです。患者さんが亡くなって、悔しいのは医師も同じです。
そういういみで、医療事故死(過失がないものもふくむと定義されています)を調査、評価する事は
医療の質を向上しようと言う医療者の営みでもあります。
が、
それはあくまで再発防止、医療者の向上心のためのもので、
決して、そのとき「論理上の最善策」ができなかったからといって、
医療上過失があるわけではないのです。
医学的な議論と、過失の有無は、似たところにあるようにみえますが、わけて考えないといけないことなのです。
医療者への不信感ーーー裁判のほとんどが、「言った,言わない」「話が違う」ということによるもののような気がしています。
たとえ、医師が言った事が違うように聞こえても、医師が行った医療が間違っている事の方が少ないと私は思っています。
第三次試案をみても、ADR などは外注する予定のようですが、
わたしは遺族対応部門が必要ではないかと思っています。
なぜなら、いくら裁判をしても、遺族のほしい「犯人」はいないからです。
そしてその医療事故の調査が再発防止、医療向上のものであるならば、、、
遺族はどうすればいいのでしょう?
わたしは遺族の方が、家族の死を受け入れ、主治医との対話をし、しゃくぜんとしない思いを伝えるための場が必要だと思っています。
それを調査委員会外の組織のADRと密に連絡を取り、、という文句ではなく、
調査委員会と平行で、臨床心理士などをとりいれ、遺族の方に対応する部門として、並列されるのがいいのではないかと、そのように思います。
以下、第3次試案「はじめに」より抜粋。
1 はじめに
(1) 医療の安全の確保は、我が国の医療政策上の重要課題であり、とりわ
け死亡事故について、その原因を究明し再発防止を図ることは、国民
の切なる願いである。医療関係者には、その願いに応えるよう、最大
限の努力を講ずることが求められる。一方で、診療行為とは、人体に
対する侵襲を前提とし一定の危険性が伴うものであり、場合によって
は、死亡等の不幸な帰結につながる場合があり得る。
(2) 医療の安全を向上させていくためには、医療事故による死亡(以下「医
療死亡事故」という。)が発生した際に、解剖や診療経過の評価を通じ
て事故の原因を究明し、再発防止に役立てていく仕組みが必要である。
また、遺族にはまず真相を明らかにしてほしいとの願い、そして同様
の事態の再発防止を図ってほしいとの願いがある。
※ 医療事故とは、過誤を伴う事故及び過誤を伴わない事故の両方を
含む。
(3) しかし、死因の調査や臨床経過の分析・評価等については、これまで
行政における対応が必ずしも十分ではなく、結果として民事手続や刑
事手続にその解決が期待されている現状にあるが、これらは必ずしも
原因の究明につながるものではない。このため、医療の安全の確保の
観点から、医療死亡事故について、分析・評価を専門的に行う機関を
設ける必要がある。
(4) さらに、このような新しい仕組みの構築は、医療の透明性の確保や医
療に対する国民の信頼の回復につながるとともに、医師等が萎縮する
ことなく医療を行える環境の整備にも資するものと考えられる。
(5) 本試案は、医療死亡事故の原因究明・再発防止という仕組みについて、
平成19 年4 月に設置した厚生労働省医政局長の私的懇談会である「診
療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」で
の議論や平成19 年10 月に公表した厚生労働省第二次試案への各方面
からの意見を参考に、改めて現時点における厚生労働省としての考え
方をとりまとめたものである。
これはなんのために、誰のためにつくられようとしているのか?
本文最後にこの試案の「はじめに」を抜粋しますが、まとめると、目的としては
1。遺族の真実をしりたい希望、再発防止の希望
2。医療事故の評価、解析、またそれによる医療の透明性(国民の医療への信頼回復)
3。医療事故再発防止
ということらしいです。
で、思ったのですが、、、、。
はたして遺族の方々は「真実」を知り得る事ができるのか?
わたしは、「遺族の望む真実は、ない」と思います。
これまで、大野事件、大淀事件、そして静岡の胎盤早期剥離による母子死亡事件、、、
これらを眺めてみますと、どんだけがんばったって、「遺族が望む真実」はでてこないでしょう。
なぜなら、医学的に過失はないと思われるからです。
遺族の方は「真実が知りたい」とおっしゃりますが、それは「だれか犯人がいるはずに違いない」というお気持ちが前提にあるように思われます。
「だれかが悪いから、家族が亡くなったのだ」と。
それは正直間違いだとしか、言いようがありません。
だれも悪くなくても、人は病気でなくなるのです。お産で死ぬのです。
医師として、その時どうすれば、もっといい対応ができたのか?
どういうことがその時考える事ができたのか?
医師としてのできることは他にはなかったのか?
そう思うのが、医師というものです。患者さんが亡くなって、悔しいのは医師も同じです。
そういういみで、医療事故死(過失がないものもふくむと定義されています)を調査、評価する事は
医療の質を向上しようと言う医療者の営みでもあります。
が、
それはあくまで再発防止、医療者の向上心のためのもので、
決して、そのとき「論理上の最善策」ができなかったからといって、
医療上過失があるわけではないのです。
医学的な議論と、過失の有無は、似たところにあるようにみえますが、わけて考えないといけないことなのです。
医療者への不信感ーーー裁判のほとんどが、「言った,言わない」「話が違う」ということによるもののような気がしています。
たとえ、医師が言った事が違うように聞こえても、医師が行った医療が間違っている事の方が少ないと私は思っています。
第三次試案をみても、ADR などは外注する予定のようですが、
わたしは遺族対応部門が必要ではないかと思っています。
なぜなら、いくら裁判をしても、遺族のほしい「犯人」はいないからです。
そしてその医療事故の調査が再発防止、医療向上のものであるならば、、、
遺族はどうすればいいのでしょう?
わたしは遺族の方が、家族の死を受け入れ、主治医との対話をし、しゃくぜんとしない思いを伝えるための場が必要だと思っています。
それを調査委員会外の組織のADRと密に連絡を取り、、という文句ではなく、
調査委員会と平行で、臨床心理士などをとりいれ、遺族の方に対応する部門として、並列されるのがいいのではないかと、そのように思います。
以下、第3次試案「はじめに」より抜粋。
1 はじめに
(1) 医療の安全の確保は、我が国の医療政策上の重要課題であり、とりわ
け死亡事故について、その原因を究明し再発防止を図ることは、国民
の切なる願いである。医療関係者には、その願いに応えるよう、最大
限の努力を講ずることが求められる。一方で、診療行為とは、人体に
対する侵襲を前提とし一定の危険性が伴うものであり、場合によって
は、死亡等の不幸な帰結につながる場合があり得る。
(2) 医療の安全を向上させていくためには、医療事故による死亡(以下「医
療死亡事故」という。)が発生した際に、解剖や診療経過の評価を通じ
て事故の原因を究明し、再発防止に役立てていく仕組みが必要である。
また、遺族にはまず真相を明らかにしてほしいとの願い、そして同様
の事態の再発防止を図ってほしいとの願いがある。
※ 医療事故とは、過誤を伴う事故及び過誤を伴わない事故の両方を
含む。
(3) しかし、死因の調査や臨床経過の分析・評価等については、これまで
行政における対応が必ずしも十分ではなく、結果として民事手続や刑
事手続にその解決が期待されている現状にあるが、これらは必ずしも
原因の究明につながるものではない。このため、医療の安全の確保の
観点から、医療死亡事故について、分析・評価を専門的に行う機関を
設ける必要がある。
(4) さらに、このような新しい仕組みの構築は、医療の透明性の確保や医
療に対する国民の信頼の回復につながるとともに、医師等が萎縮する
ことなく医療を行える環境の整備にも資するものと考えられる。
(5) 本試案は、医療死亡事故の原因究明・再発防止という仕組みについて、
平成19 年4 月に設置した厚生労働省医政局長の私的懇談会である「診
療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」で
の議論や平成19 年10 月に公表した厚生労働省第二次試案への各方面
からの意見を参考に、改めて現時点における厚生労働省としての考え
方をとりまとめたものである。
老荘思想を勉強すればするほど、
真実を求めて争う
なんてことが、なんとむなしいことだろうと思えるようになりました。
不毛な争いを引き起こす制度には断固反対です。
先生のおっしゃるスタンスには同意です。
よく患者団体が使う「真実」という言葉には、隠された前提がありますよね。
それは、
「医師が何かを隠蔽しているに違いない」
という不信をベースにした前提です。
だからこそ、そういう不信や悲嘆のプロセスを、医学的にあるいは臨床心理的に、きちんと扱える人の要請と制度をめざすのが大事だと思います。
真実ということばが、一人歩きしている社会なのかもしれません。
by なんちゃって救急医 (2008-05-11 15:05)
なんちゃん先生コメントありがとうございます。
>真実を求めて争う
なんてことが、なんとむなしいことだろうと思えるようになりました。
まったく同意です。
変な話なんですけど、
アメリカにいると言葉がよくわからない分、
「だまされてるかもしんないけど、まあいいや」とか開き直れる部分があるんですけど、
なぜか日本に帰国したとき、ちょっとした窓口の不手際とか対応への不信感というのがむくむくと起こってきて、
はたまたこれはなんだろう?
と自分がよくわからなくなりました。
日本はへんな電磁波でもながれてるのかしらん。
by pyonkichi (2008-05-13 14:07)
「遺族の望む真実は、ない」
その通りです。
遺族が望むのは、
「医師が過失を犯したとう事実」
であって、
納得がいかない「裁判上の真実」や
納得がいかない「本当の真実」には、目をつぶります。
そして、システムエラーや「Why?]
ではなく、ヒューマンエラーや「Who]
なのです。
by 紫色の顔の友達を助けたい (2008-05-13 15:16)
紫色の顔の友達を助けたい先生、コメントありがとうございます。
罪を憎んで人を憎まず、、じゃないけど、
システムエラーを憎んで人を憎まず、、といった体制ができればいいのに、と
思います。
by pyonkichi (2008-05-14 09:44)