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人が死ぬということ [医療]

医者と医者でない人の温度差は、
「死」との距離ではなかろうか、と友人は指摘してくれた。
たしかに、普通に暮らしていると、「死」とはなかなか縁がないはずだ。

いまでも思い出すのが、研修医のとき。
わたしは救急救命センターで研修をしていた。
1次から3次救急すべてを見るシステムの救急病院で、
とにかくいろんな患者さんが来た。
交通外傷、心筋梗塞、脳卒中、自殺未遂、溺水、工事現場での事故、刺傷事件、、、。
DOA(到着時死亡)でこられた患者さんは、ほとんどの場合、助からない。
30分救命処置を続けて、心拍が戻らなければ、その旨を家族のかたにお伝えして、救命処置をやめることになる。
交通事故などの場合、朝元気で家を出て行ったお父さんが、突然帰らぬ人となるのだ。わたしは、ご遺体の横で、搬送されたときの状況、その後の経過を説明し、頭をさげる。家族の方の衝撃と悲しみは突風となって私を貫く。それは目に見えないおおきなうねりで、私はとばされないように足をを踏ん張らねばならない。真っ暗な闇の中にわたしも落ちていきそうになる。
人が亡くなるということは、こういうことなのだ。

元来私は涙もろい。
とにかく、感情が高ぶると、涙が出てくる。
怒っても、悲しくても。
いや、むしろ怒っているときにこそ、涙が出てくる。
いずれにせよ、
わたしは泣き虫であると同時に忘れんぼうである。
泣くと、きれいさっぱりわすれて、すべてを(怒ったことも、悲しいことも)水に流せるという、まあ楽な性格でもある。
だからこそ、医師になって、決して泣いてはいけない、と決めた。

患者さんが亡くなったときは、決して泣くまい。
医師は泣いてはいけない。
泣いて流してしまってはいけない。
この無念さを、体と心に刻み付けて、生きていかねばならないのだ。

*****

私の20年ほど先輩の上司のK医師が亡くなった。
当時、「最近腰が痛くてなあ、わしが持っている患者も、ちょっとみとってくれな」、と言われ、「はい。でも先生も受診されたほうがいいんじゃないですか。おつらそうです。」と言った。
そのころ、私は小児科になって、5年目、重症の患者さんも任されるようになり、
小児血液を専門とするため、白血病や小児がんの子供たちをたくさん受け持っていた。その上司の先生は、わたしに無言でいろんなことを教えてくださった。
わたしに、「これをしておけ」というのではなく、自分ですべて行動されるのだ。
わたしが書いたカルテをチェックし、足りない検査やカルテ記載を、だまって追加される。わたしはそれをみて、「あや!やられた!」と思うのだ。まだまだ足りないらしい、、、。40も後半になって、夜遅くまでカルテとにらめっこし、いつもじーっと患者さんの様子を観察し、診察し、尊敬すべき先生だった。

「K先生がな、Neuroみたいなんや」とK先生といつもコンビを組んで小児がんの治療に当たっているT先生が私に告げた。
「え?Adult Neuroですか?」
NeuroとはNeuroblastoma(神経芽腫)の略で、小児がんのひとつである。1歳未満の予後は極めてよいが、1歳以上で発症する進展した症例は、難治であることが多い。しかし成人では極めてまれである。
「とにかくNeuroとしか思えないようなCT画像や。両側副腎から大動脈を巻き込んで、肝臓、横隔膜にも進展して、とにかく腹が腫瘍だらけなんや」

私は絶句した。腰が痛いと最近いっておられたけど、、、。
同時に涙がこぼれた。
大動脈を巻き込み、肝、横隔膜に進展、、、、。
どんなCTか見なくても想像がつく、と同時にこれからの治療がいかに壮絶になるか、、、ああ、K先生!
私はそのとき、医者ではいられなかった。尊敬するK先生を失ってしまうであろう、確信にちかい予感に泣いた。

K先生は、自分の患者さんに行うような治療を、自分にも希望された。
医師が、人生の瀬戸際で、いつも自分が 子供たちにしている治療を自分にも希望する姿は、その信念を感じることができた。
最後まであきらめず、戦った。

*****

お産はこわい、ということを私は知っている。新生児医療もしてきたので。
何も問題のかなったはずの産婦さんに突然とんでもないことがおこったりする。
母子ともに命からがら生まれてくる。

重症新生児仮死で、新生児科医たちがよってたかってなんとしようとしたけど
その日のうちになくなった赤ちゃんもいる。
できることすべてやっても、
救えないのだ。
医者はなんて無力なのだろう。
たった数時間のために生まれてきた命。

ひとは皆、死ぬということしか、平等じゃないのだ。

*****

医者は、患者さんの治療は、それが自分や自分の家族であっても同じことをする、ということは
大前提だと思う。
当たり前のことだけど、患者さんには、医者がそう思っているのだと、知っていてほしいなと思う。
でも、家族の主治医はできない。
情にながされると、医学的に正しい判断ができなくなるから。
でも、少なくとも私は、
いつも患者さんのことをとても大事に思っている。
病気を治療する、という同じ目的をもっているのだから、
きっとわかり合えると信じている。
たとえ、どれだけ患者さんから罵倒されることがあったとしても、
その人が目の前で苦しんでいたら、精一杯の治療をおこなう。
それが医者だと思っている。

*****

今日の想い

わたしは子供たちの死を背負っている。
亡くなった子も、元気になってくれた子も、
私を支えてくれているのだ。


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ちくわ

はじめまして。記事ちょっと古いですが、気になったのでトラバさせてもらいました。
ブログ始めたばかりで僕のほうは記事ほとんどありませんが、コメント長くなりそうなのでトラバにさせてもらいました。
またこちらにもお邪魔させていただきますね。
by ちくわ (2006-05-08 03:33) 

pyonkichi

はじめまして、ちくわさん。
コメント&トラバありがとうございます。
ちくわさんのブログ、お邪魔させていただきますね。
by pyonkichi (2006-05-10 09:25) 

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